最高裁判所第一小法廷 平成9年(オ)670号 判決 2000年9月28日
上告人(被告 平成七年(ネ)第四八四二号事件 控訴人・同第四九二七号事件 被控訴人) 田中末芳
上告人(被告 平成七年(ネ)第四八四二号事件 控訴人・同第四九二七号事件 被控訴人) 大澤浩吉
上告人(被告 平成七年(ネ)第四八四二号事件 控訴人・同第四九二七号事件 被控訴人) 守谷武紘
上告人(被告 平成七年(ネ)第四八四二号事件 控訴人・同第四九二七号事件 被控訴人) 守谷春子
右四名訴訟代理人弁護士 水石捷也
長谷則彦
秋元善行
被上告人(原告 平成七年(ネ)第四八四二号事件 被控訴人・同第四九二七号事件 控訴人・平成八年(ネ)第二一〇号事件附帯被控訴人) 株式会社ローゼンホーフ
右代表者代表取締役 中村富茂夫
右訴訟代理人弁護士 畠山保雄
石橋博
中野明安
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人水石捷也、同長谷則彦、同秋元善行の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審の認定しない事実を交え、独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄 裁判官 大出峻郎 裁判官 町田顯)
上告代理人水石捷也、同長谷則彦、同秋元善行の上告理由
第一点原判決が、被上告人の本件訴えは権利の濫用に当たらないと判断した点に関し、商法第二六六条及び第二六七条の解釈適用を誤った違法があり、更に、その事実認定に経験則若しくは採証法則違背があり、また判断には理由不備の違法がある。
一 原審判決は、第三の一1・2において「右に認定した事実及び引用した原判決認定の事実によれば、一審原告は、観光汽船の経営支配権を確立するため、観光汽船の取締役に対し第三者割当増資を求め、その交渉を有利に導く目的もあって、株式代表訴訟の提起を持ち出し、本件訴えを提起しこれを維持しているものであることは明らかである。」、「右訴訟の提起が、専らないし主としていたずらに会社ないしその取締役を脅しあるいは困惑させ、これによって会社ないし取締役から金銭など不当な個人的利益を得ることを意図したものであるとか、又は右訴訟によって追及しようとする取締役の違法行為が軽微ないしかなり古い過去のものであり、かつ、右違法行為によって会社に生じた損害額も甚だ少額であり、今更取締役の責任を追及するほどの合理性、必要性に乏しく、結局、これによって会社ないし取締役に対する不当な嫌がらせを主眼としたものであるなど特段の事情の認められない限り、右訴訟の提起が株主権の濫用として許されないとすることはできないものと解するのが相当である」と。
二 しかし、その認定した事実には、次の事実が看過されているし、これらの事実をも総合すると、権利の濫用となる「特段の事由」に該当する。
1 原審での和解の席上(及び一審の和解においても)、一審原告側は、第三者である谷商会に対し、有利発行で割当増資をすることを要求したこと(丙三四)。
2 平成四年九月頃、一審被告田中・同大澤が一審原告代表者中村(敬称略、以下個人名同じ)及び当時の観光汽船の監査役であった山本邦明から、守谷商会へ第三者割当増資をするなら一審被告田中及び同大澤の将来は保証する、そうでないなら裁判だといわれたこと(丙三三)。
3 観光汽船の監査役であった右山本は、甥である守谷正平又は同人が社長である守谷商会の意を体し、専らそれらの利益を図る目的で、観光汽船の監査をし、一審被告田中らに接触していたこと。
4 原審の和解の席上(平成八年七月八日)一審原告は、一審被告大澤に対し、同人の母親(京子、守谷正平の叔母)が居住している宅地(正平名義)を正平に明渡し、かつ右京子及び一審被告大澤とその弟が所持している守谷商会(年間売上二〇〇〇億円、経常利益五〇億円・丙二六)の株式合計三八万株(時価評価数億円)を正平に無償で譲渡するなら、一審原告側が所持する観光汽船の株式合計三〇万株を一審被告大澤らに譲渡し、観光汽船からは一切手を引くとの提案がなされたこと(丙三六)。
三 右1ないし4の事実を詳細に述べる。
1について
(一) 原判決は、一審原告が、本件訴訟提起前に「観光汽船の経営支配権を確立するため、観光汽船の取締役に対し、第三者割当増資を求め、その交渉を有利に導く目的もあって、株主代表訴訟の提起を持ち出し」と認定する。
一審原告やその当時観光汽船の監査役山本が、平成四年九月頃観光汽船の取締役である一審被告田中らに右のような要求を行なったのであるが、その第三者とは守谷商会であった。
新株を発行することによる第三者割当増資は、原審でも述べたが、観光汽船に資金需要が必要であって、他の資金調達より第三者割当増資による方が有利である等観光汽船にその必要性があって初めて実行される筋合のものである。観光汽船は、平成四年九月当時どうしても資金を必要とするなどの事情は一切なかった。むしろ一審原告らによる押し付けだと認識した。
(二) さらに一審原告らが求めたのは、時価発行ではなく有利発行による新株発行であった(丙三四)。
平成五年九月一七日付の観光汽船の株価算定書(丙三五、野村証券作成)によると、「中心的な同族株主」が取得する場合、一株五一四円と算定されている。額面の一〇倍であ
一審原告が、商法第二八〇条の二第二項の「特に有利なる発行価額」を求めたことになり、仮に一審被告田中や同大澤が一審原告らの求めに応じていたなら、商法第二八〇条の一〇、一一にいう「不公正な発行価額」であり、まさに株主代表訴訟の対象になるおそれがあった。
(三) このような要求自体、株主が観光汽船から「株主が不当な利益を得ることを意図した」ものであるといえる。
2について
観光汽船の当時の監査役山本が、一審被告田中や同大澤に対し、観光汽船内における身分・地位の保証と引換えに守谷正平らに対する第三者割当増資を慫慂したりするのは「いたずらに取締役を困惑させる」ことである。
3について
(一) 山本邦明は、平成三年五月二九日一審原告や守谷正平の推薦で観光汽船の監査役に就任した。甲一によると同氏の就任は、専ら観光汽船とケイアンドモリタニとの関係、特に資金の流れに関心があり、その調査を目的としていたことが伺われる。
そして観光汽船の内部資料や裁判資料等を調査した結果を、一審原告らの顧問弁護士事務所に持ち込んで判断を求め、その結果一審被告らや観光汽船の顧問弁護士らと協議をしてきた。
(二) 山本は観光汽船の監査役でありながら、観光汽船の代表者である一審被告田中や同大澤らを法的知識が劣るものと軽視し、自己がさも合理主義者で、監査役なら何でもできる、会社の役員の首をとばすことなどわけはないかのごとき態度で接してきた。しかし、その意図するところは、専ら守谷正平又は守谷商会のためにすることにあり、観光汽船の監査役の地位は隠れ蓑に過ぎない。これは甲一や山本が一審被告田中らに宛てた平成四年四月二一日付書簡(甲四)、平成四年一二月二〇日付書簡(丙二〇)、一審被告田中の一審での証言、大澤の原審での証言などがら明らかである。
さらに山本は、平成五年一一月八日観光汽船の監査役を解任される(丙一九)や直ちに一審原告の代表者に就任した。
(三) このように、観光汽船の監査役が専ら特定の株主(本件の場合は一審原告又は守谷正平)のために行動することは、監査役たる権限の濫用であり「会社ないし取締役に対する不当な嫌がらせを主眼としたもの」というべきである。監査役は、会社に対して忠実義務を課せられていないが、委任契約に基づく善管注意義務(民六四四条)は課せられており、右山本監査役の一連の行為は善管注意義務違反に該当する。
一般論として、会社の監査役が会社の重要書類を特定の株主のために開示することは許されるのであろうか。本件では、観光汽船の監査役山本(後に解任されたが)が、経営支配権を狙っている特定株主である一審原告及び守谷正平のためにのみ開示しているものであり、許されるべきものではない。
4について
原審において、一審原告代理人からこのような提案がなされた<証拠略>。
和解に至らなかったとはいえ、株主代表訴訟において、一審被告大澤家の純粋なプライベートな問題を持ち出すこと自体が、一審原告の代表訴訟の意図を疑わせるに十分である。当初は、第三者割当増資を迫り、口頭弁論終結直前に右のような和解案をも提示して解決しようとするのは不当というべきである。本件が、親族間(守谷家間の)紛争であるといわれるゆえんであり、まさに「取締役を困惑させ、不当な個人的利益を図る」ものである。
四 一審判決及び原審判決は、本件株主代表訴訟の背景は、観光汽船経営支配権を確立するため株式を一審原告側の指定する第三者への割当増資を求めたことにあるとする。
そして一審原告の指定する第三者とは、守谷正平(観光汽船の株主でもある)又は守谷商会であった。しかし本書面で指摘したように、本件は単なる第三者割当増資だけの問題ではない。確かに当初はそれが背景にあったといえるかも知れないが、その後訴訟が進行するに従って、一審原告の意図(大澤京子居住宅地の明渡問題の解決)するところが明らかとなってきた。
それは、守谷一族の観光汽船の支配権をめぐる当初からの感情的な対立である。
(一) 一審原告側は、観光汽船の取締役らが現場の一線に立ち、会社経営に営々と努力しているのを知りながら、これを支援することもせず、観光汽船が継続的に収益を上げるようになったことや、守谷正平の祖父の兄弟であり観光汽船の取締役(一審被告和剛・同武紘の父)であった理助が、平成二年九月二一日に死去したことで目の上の瘤が取れたと判断したのか、平成三年には守谷正平らの意向で山本を観光汽船に送り込んで観光汽船の内部情報収集した結果、株主代表訴訟をちらつかせて、観光汽船の支配権を確立しようと意図したのである。
(二) その他、一審被告大澤家の個人的問題(大澤京子居住宅地の明渡)も持ち出し、この条件承諾が和解解決の基本であると主張するに及び、一審原告側の本訴の意図するところは極めて不純なものであるといわなければならない。
(三) 一審原告らは、一審被告ら現経営者の努力によるその後の観光汽船の業績の急上昇に目を付け、山本を監査役に送り込み、観光汽船の帳簿やケイアンドモリタニ関係の訴訟記録を調べさせ、一審原告の顧問弁護士の意見書まで添付して、前述の第三者割当増資を迫ったりした。
(四) これら諸々の背景を見ると、本件は、株主代表訴訟に名を借りて、一審原告らが自己の個人的利益を追求したものと断ぜざるを得ない。一審被告らが、本件訴訟が権利の濫用であると主張するゆえんである。
第二点原判決「ケイアンドモリタニに対する貸付け及び債務保証」のうち、次の点に関して、商法第二六六条及び第二六七条の解釈適用を誤った違法があり、更に、経験則・採証法則違背・審理不尽・理由不備の違法がある。
一 まず原判決は、「会社の取締役が、自らの会社の経営上特段の負担にならない限度において、前記のような関係にある他の営利企業(本件ではグループ企業としている)に対して金融支援をすることは、担保を徴しない貸付け又は債務保証をした場合であっても、原則として、取締役としての裁量権の範囲内にある行為として、当該会社に対する善管注意義務・忠実義務に違反するものではなく、結果的に貸付金等を回収することができなくなったとしても、そのことだけから直ちに会社に対する右の義務違反があるとして、会社に対して損害賠償責任を負うものではないと解するのが相当である。しかしながら、支援先の企業の倒産することが具体的に予見可能な状況にあり、当該金融支援によって経営の建て直しが見込める状況にはなく、したがって、貸付金が回収不能となり、又は保証人として代位弁済を余儀なくされた上、弁済金を回収できなくなるなどの危険が具体的に予見できる状況にあるにもかかわらず、なお無担保で金融支援をすることは、もはや取締役としての裁量権の範囲を逸脱するものというべきであり、当該会社に対する善管注意義務・忠実義務に違反するものとして、当該取締役は、商法二六六条により、右行為によって当該会社の被った損害を賠償する責任があると解するのが相当である」とした。
二 そして原判決は、昭和五八年一〇月には、ケイアンドモリタニの融通手形の交換先が倒産したため、約一億円にも及ぶ債務を負ったこと、更に同年一二月にも同様にして約六〇〇〇万円の債務を負うに至ったことが、同社の経営に決定的な悪影響を及ぼして同社の経営の基盤を危うくしたものであり、ケイアンドモリタニに対する融資等を継続することによって経営の建て直しが見込める状況ではなかったから、この時点でケイアンドモリタニが倒産するに至ることが具体的に予見可能な状況になったものとする。
すなわち、昭和五八年一〇月以降の観光汽船のケイアンドモリタニに対する融資等は、経営者としての合理的な選択の範囲にはないという。
三 しかし、一審被告田中らは、昭和五八年一〇月以降の融資に反対せず、実行がなされたが、もしその時点での融資を拒否したことで予想される観光汽船の不利益や信用失墜(ケイアンドモリタニがその時点で倒産すれば、観光汽船も倒産すると同一に考えられたこと、許認可事業である観光汽船の許認可が問題にされ、将来の展望がなくなること)を考えると、なお観光汽船の経営者として、融資を継続することが観光汽船にとってメリットのあることであり、経営者の合理的な選択をしたと主張する。
1 昭和五八年一〇月三一日の五〇〇〇万円の債務保証
(一) グループ企業内で優位に立つ企業が、他の企業を支援することはよくある事例である。その支援をする判断資料として、ケイアンドモリタニの経営内容がどのように把握されていたかがある。例えば、昭和五八年一〇月三一日のケイアンドモリタニが運転資金として協和銀行から五〇〇〇万円を借り入れるについて、観光汽船が債務保証をした点である。これはケイアンドモリタニが銀行から借り入れたのである。銀行は、いくら保証人に資力があっても、融資する企業がどのような財務内容であるかを十分に調査するのが通である。
協和銀行がケイアンドモリタニに対し五〇〇〇万円の融資の実行を決したのは、ケイアンドモリタニの財務内容を十分に調査した結果であり、その銀行の判断を尊重して観光汽船が保証したのである。協和銀行は、このときケイアンドモリタニが倒産することを具体的に予見しておれば五〇〇〇万円もの融資を実行するはずがない。そして協和銀行の求めに応じて観光汽船がケイアンドモリタニの保証人になったとしても、その判断は合理的なものであったといわなければならない。ケイアンドモリタニが倒産することを具体的に予見可能な状況ではないこともちろんである。
(二) さらに、これは事後のことであるが、一年後の昭和五九年一〇月末ケイアンドモリタニが倒産したことにより、保証人であった観光汽船が、元本・金利を含めて金五一三九万円余を協和銀行に代位弁済する結果となった。この税務処理について、もし貸付時に回収不能な貸付であれば全額損金として処理することはできず、全額贈与の処理をすべきところ、昭和六〇年一二月観光汽船は浅草税務署に嘆願書を提起し、損金としての償却が認められたが、新しい貸付金四〇〇〇万円については税務署も損金と認めず、贈与の扱いがなされた(丙二一の2)。このことも、右の合理的な判断であったことを推認させるものである。この嘆願書にあるように、ケイアンドモリタニが倒産のときには、不良株主らから企業を防衛するとの観点から保証を行ったものであるからである。(なお、この嘆願書を提出するについて、観光汽船の担当者は事前に浅草税務署に相談しており、嘆願書の原案まで提示されていた(丙二一の1)。この原稿の用紙には東京国税局の印刷がある。)そして税務署の認定により、法人税等の軽減額が通常経理に対し三二、九九二、〇〇〇円あった(会社経理にプラスした)。
2 昭和五八年一一月五日の一億円の融資
(一) 昭和五八年一一月五日の一億円を融資したことについても右と同様である。この融資金がケイアンドモリタニによってどのように利用されたかは原判決認定のとおりである。観光汽船は、協和銀行から融資を受けて、これをケイアンドモリタニにそのまま貸し付けたのである。この時も、協和銀行は、ケイアンドモリタニへの融資であることを十分承知して、観光汽船へ一億円を融資したものである。
協和銀行の判断は、観光汽船を信用したのであろうが、観光汽船がケイアンドモリタニにそのまま融資しても、それぞれが無駄な資金に終わる可能性が大だと判断すれば、観光汽船に警告したはずである。またそうすべきであった。しかしそのようなことはなく、かえってケイアンドモリタニの債権の誘い水たる融資が、その効果があると判断されて融資が実行されたものである。
このような時には、観光汽船の取締役であった一審被告らにはケイアンドモリタニが倒することが具体的に予見可能ではなかったというべきであり、融資を決した判断は合理的なものというべきである。
(二) なお、ケイアンドモリタニは、観光汽船から融資を受けた直後の昭和五八年一一月七日には金二〇〇〇万円を観光汽船に返済している(一審の平成五年五月二〇日基準書面添付表参照)。
一一月五日の貸付については、一審判決の認定は九六〇〇万円であり、二〇〇〇万円の返済があったとすると、実質七六〇〇万円である。
これはこのときケイアンドモリタニに資金繰りができていたということであり、このことからもケイアンドモリタニが倒産することが具体的に予見し得たとは到底いえない。
3 右1・2の融資等以外の融資
(一) 昭和五八年一〇月以降の右1・2以外の融資は次のとおりである。
(1) 昭和五九年一月三一日 三〇〇万円
(2) 同 二月二九日 五〇〇万円
(3) 同 二月二九日 五〇〇万円
(4) 同 四月一六日 一五〇〇万円
(5) 同 四月二〇日 五〇〇万円
(6) 同 五月七日 五〇〇万円
(7) 同 五月三一日 五〇〇万円
(8) 同 六月二六日 六〇〇万円
(9) 同 九月四日 四〇〇万円
(二) 右1・2で指摘したように、銀行すら観光汽船が倒産に至ることを具体的に予見していなかったのであるから、その後の融資についても(特に昭和五九年二月二九日までの分)、一審被告田中らにもそのような予見はできなかったというべきである。むしろ協和銀行もそう判断したのだから具体的な予見可能な状況にはなかったというべきであろう。
(三) 一審被告田中らは、昭和五九年四月観光汽船の取締役会で、一審被告和剛及び観光汽船の顧問弁護士から、ケイアンドモリタニに暴力団等が入り込んでいるなどの実情をきいて、初めて同社が倒産必至であることを認識したのである。
しかしその後の融資右(4)ないし(9)は、ケイアンドモリタニに融資することによって、同社が倒産することにより観光汽船に及ぼす影響を最小限に抑えるためのつなぎ融資あるいは準備期間のための融資である。
その当時、世間には、観光汽船とケイアンドモリタニはグループ企業と認識されており、代表者も一審被告和剛が兼務しており、ケイアンドモリタニが倒産すれば、同じ代表者であった観光汽船の信用が阻害される恐れが十分であった。そこで、観光汽船の代表者を一審被告和剛から一審被告田中に変更する準備期間が必要であった。
更に、観光汽船は、公共輸送機関として、その期待される役割を果たして活躍しており、公共輸送機関としての性格上、一般利用客からの信用、官公庁からの信用を最重用視していたから、その信用が一度でも失墜すれば今後の経営に回復不可能な程の影響が出るのは必至であったために、その信用を保全することこそが企業体としての存続を図るという経営上の至上命題であった。
特に、昭和五八年一〇月当時、運輸省や東京都からは、観光汽船とケイアンドモリタニの関係が注目されており、万一、ケイアンドモリタニが倒産しても観光汽船が運輸省や東京都からの信用を失わないよう事前に監督官庁にケイアンドモリタニの危機的状況を報告し、根回しする時間が必要だったのである。事実、一審被告田中・同大澤らは、監督官庁に実情の説明に奔走し、何とか根回しし、そのことが効を奏し、昭和五八年一〇月から一年後である昭和五九年一〇月末にケイアンドモリタニの倒産にあたっても、観光汽船への理解が得られ、信用失墜は免れたものである。
仮に、昭和五八年一〇月の時点において、観光汽船がケイアンドモリタニに対する融資を打ち切ったとすれば、ケイアンドモリタニはその時点において倒産し、その結果、観光汽船は監督官庁からの信用を一気に失い、例えば新規航路の開設の許可が得られなくなるばかりか、既設の航路や施設の使用を解除されることになるのは必定である。
そうなれば、観光汽船そのものの経営は立ち行かなくなり、倒産の憂き目を見ることになることは自明であった。このように、ケイアンドモリタニの倒産による信用の失墜は、観光汽船本体の浮沈という企業体としての存続にかかわる最重要問題であった。この信用の失墜を回避するためには、監督官庁に対する事情説明や根回しが必要不可欠であり、その時間を作るには、ケイアンドモリタニの倒産を遅らせなければならなかったのである。
そのための具体的方法としては、観光汽船において、ケイアンドモリタニが倒産することを認識していたとしても、観光汽船という企業体の存続という企業体にとって最大の利益を守るためには、ケイアンドモリタニに対して融資をするより以外とるべき方法はなかったのである。かかる判断は、正しく取締役としての高度の経営判断であり、回収不能となる可能性の高い融資を行ったとしても、それは、最も大きな利益である企業体の存続を確保する目的でなされ、かつ、その結果、企業体の存続が図られた場合には、右の経営判断及びその結果については善管注意義務・忠実義務違反に該当しないと言うべきである。この点を看過した原審の解釈は商法第二六六条及び二七七条の解釈適用を誤ったものであると言わねばならない。
一審被告田中・同大澤らの高度な経営判断及びその結果により、ケイアンドモリタニの倒産による観光汽船への影響は最小限に食い止められ、その結果、監督官庁の信用を失わずに済んだ。その後、観光汽船の航路は新設が相次ぎ、昭和五九年当時、利用の乗降桟橋数は五か所であったが、現在では一八か所に増えているのである。所有船舶は、昭和五九年頃の六隻が現在では一三隻にもなっている(丙三三の表)。
(四) そしてその後、観光汽船は、丙三三の表に示すように、売上・経常利益は次のように推移し、その業績の向上には目を見張るものがある。
期 売上(千円)
経営利益(千円)
昭和六一年三月 七六五、一二〇
九八、〇一九
六二年三月 七五八、三五七
八四、七二九
六三年三月 一、二五〇、一一〇
二一九、三三六
平成 元年三月 一、一三一、九二二
二二一、二二二
二年三月 一、二二三、八七三
二三八、三〇八
三年三月 一、四七四、七二八
二五二、四九五
四年三月 一、四八二、〇八九
三三九、九七八
五年三月 一、四六五、九三五
二六二、九五一
六年三月 一、四一六、一五四
一九〇、六九二
七年三月 一、二九二、三五九
二七、二一一
とくに、平成元年頃から新設の航路が相次いだ。例えば、葛西臨海公園・江戸川・品川・有明などの各航路である。これらの新設航路の認可も監督官庁から何の支障もなく取得することができた。これは、現経営陣である一審被告田中のケイアンドモリタニと観光汽船との関係の切り離しや監督官庁に対する事情説明等による公共輸送機関として最も重要な企業体としての信用維持を図ったことをはじめとする懸命の努力によるものであった。一審被告田中らは、観光汽船の従業員を必要最小限の人数にして、役員であってもチケット販売・キップ切り・乗客の誘導など現場の業務までして、観光汽船を盛り立ててきたのである。業績の向上から見ても、ケイアンドモリタニへの融資等を償って余りあるものである。
一審原告又は守谷正平は、観光汽船のこのような内容を知悉し、いい商売だからとして観光汽船を乗取ろうとしたのである。現場がどのように努力・苦労してきたか知りもしないで、ただ株主であることのみをもって、机上の理論を振りかざして本件のごとき訴を提起するのは、日本の企業社会にはとうてい受け入れられるものではない。
(五) このように、一審被告らの昭和五八年一〇月以降のケイアンドモリタニに対する融資等は、そうすることによってケイアンドモリタニは再建できると信じたこと、観光汽船の信用を維持し得たこと、昭和五九年四月の観光汽船役員会において、不幸にもケイアンドモリタニが倒産することを具体的に予見した後にも公共輸送機関として致命的な信用の失墜を抑止するために必要不可欠なものであったこと、そういった努力が実って観光汽船の経営は順調に推移して現在に至っていること、更には現経営者の努力による、その後の観光汽船業績の急上昇が一審原告の乗っ取り意欲を引き起こしたものであることなど、総合的に判断して、当時の一審被告らの判断及びそれに基づく行為には、善管注意義務違反及び忠実義務違反は認められず、合理的なものであったと言うべきである。